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サプライズを創出し続ける人々の
想像を超えるアイデアソースをご紹介します。
2015年10月2日
経営戦略グループ 生駒 茂樹さんのアイデアソース
第五回
想像を超える「サウンド」
空前絶後のベーシスト
ジャズファンやベース奏者なら、きっと一度は名前を聞いたことがあるのではないだろうか。
ベースギターという楽器の概念を変えてしまった男、ジャコ・パストリアスを紹介させていただきたい。
彼のソロデビューアルバム「ジャコ・パストリアスの肖像」は1976年に録音された。ワオ、なんと40年近くも昔のことである。しかし、今聞いても古びたところなど一切なく、依然として最高にカッコイイ!
さっそく1曲めから聞いてみることにしよう。コンガとベースだけで演奏される「Donna Lee」。
正確無比なフィンガリングから生み出される強烈なグルーブ感に圧倒される。2曲めはソウル感あふれる「Come On, Come Over」。ホーン・セクションの短いイントロに続いて、ハービー・ハンコックのキーボードとコンガを左右に携え、ジャコのベースが印象的なリフを奏で始める。ジャコ自身のアレンジによる強烈にファンキーなホーンの響きと対峙して鳴り続けるベースの16分音符が圧巻だ。
一転して3曲めは2台の電気ピアノを従えた自作曲「Continuum」。ここでのベースの独特のサウンド、倍音と残響音を駆使したジャコサウンドは、たちまち多くのフォロワーを生み、彼を苦しませることになったと言われている。ここで使われている電気ピアノの一種であるフェンダー社のローズ・ピアノはその独特の音色で知られているが、楽器を購入し、アンプのセッティングを調整すれば、誰でも同じようなサウンドが得られる。ジャコの場合は、倍音を自在に操る奏法や、楽器(音階を決めるフレットを抜いてパテ埋めし、フレットレスにしたエレキベース)、残響を強調したアンプセッティングなどの全てにより、彼のオリジナルなサウンドが生み出された。ジャズジャーナリストのビル・ミルコウスキーによる「JACO」という本には、孤高の天才の生涯が詳しく紹介されているが、あるベーシストの言葉として「ジャコが扉を開き、我々はその中に歩いて行った」と記載されている。魅力的なサウンドであればあるだけ、多くの信奉者を生み、模倣されるのが世の習いではあるが、彼の生み出したサウンドを安易に真似るプレーヤーが続出したことに、ジャコが深く傷ついたことは想像に難くない。
彼の絶頂期は長くはない。仕事はなく2度めの妻とも別れ、ミュージシャン仲間の出ているナイトクラブに入ろうとしてトラブルになり、マネージャーから暴行を受けて昏睡状態に陥ったまま10日後に35歳の生涯を閉じた。躁うつ病を患っていたと言われる。前述のように自分の亜流が続出したことに彼が苦しめられたのは間違いないだろうが、それにも増してアーティストとしての創造の苦しみを味わっていたのではないだろうか。
晩年の演奏には荒れたものが多く、彼が一度は軽々と達した高みに再び戻ることはなかったが、自分自身を模倣することが許せず、苦しんでいたように思えてならない。そう考えると、彼の残した珠玉の音楽が一層いとおしく感じられる。凡人である自分には演奏も生き方も彼の真似はできないが、模倣に終わらず、オリジナルを追求する気持ちだけは持ち続けたいと思う。
ベースギターという楽器の概念を変えてしまった男、ジャコ・パストリアスを紹介させていただきたい。
彼のソロデビューアルバム「ジャコ・パストリアスの肖像」は1976年に録音された。ワオ、なんと40年近くも昔のことである。しかし、今聞いても古びたところなど一切なく、依然として最高にカッコイイ!
さっそく1曲めから聞いてみることにしよう。コンガとベースだけで演奏される「Donna Lee」。
正確無比なフィンガリングから生み出される強烈なグルーブ感に圧倒される。2曲めはソウル感あふれる「Come On, Come Over」。ホーン・セクションの短いイントロに続いて、ハービー・ハンコックのキーボードとコンガを左右に携え、ジャコのベースが印象的なリフを奏で始める。ジャコ自身のアレンジによる強烈にファンキーなホーンの響きと対峙して鳴り続けるベースの16分音符が圧巻だ。
一転して3曲めは2台の電気ピアノを従えた自作曲「Continuum」。ここでのベースの独特のサウンド、倍音と残響音を駆使したジャコサウンドは、たちまち多くのフォロワーを生み、彼を苦しませることになったと言われている。ここで使われている電気ピアノの一種であるフェンダー社のローズ・ピアノはその独特の音色で知られているが、楽器を購入し、アンプのセッティングを調整すれば、誰でも同じようなサウンドが得られる。ジャコの場合は、倍音を自在に操る奏法や、楽器(音階を決めるフレットを抜いてパテ埋めし、フレットレスにしたエレキベース)、残響を強調したアンプセッティングなどの全てにより、彼のオリジナルなサウンドが生み出された。ジャズジャーナリストのビル・ミルコウスキーによる「JACO」という本には、孤高の天才の生涯が詳しく紹介されているが、あるベーシストの言葉として「ジャコが扉を開き、我々はその中に歩いて行った」と記載されている。魅力的なサウンドであればあるだけ、多くの信奉者を生み、模倣されるのが世の習いではあるが、彼の生み出したサウンドを安易に真似るプレーヤーが続出したことに、ジャコが深く傷ついたことは想像に難くない。
彼の絶頂期は長くはない。仕事はなく2度めの妻とも別れ、ミュージシャン仲間の出ているナイトクラブに入ろうとしてトラブルになり、マネージャーから暴行を受けて昏睡状態に陥ったまま10日後に35歳の生涯を閉じた。躁うつ病を患っていたと言われる。前述のように自分の亜流が続出したことに彼が苦しめられたのは間違いないだろうが、それにも増してアーティストとしての創造の苦しみを味わっていたのではないだろうか。
晩年の演奏には荒れたものが多く、彼が一度は軽々と達した高みに再び戻ることはなかったが、自分自身を模倣することが許せず、苦しんでいたように思えてならない。そう考えると、彼の残した珠玉の音楽が一層いとおしく感じられる。凡人である自分には演奏も生き方も彼の真似はできないが、模倣に終わらず、オリジナルを追求する気持ちだけは持ち続けたいと思う。