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サプライズを創出し続ける人々の
想像を超えるアイデアソースをご紹介します。
2018年4月6日
iDshop静岡 横山 聖子さんのアイデアソース
第三十二回
想像を超える「ミステリー」
あなたは物事の本質を見抜く力を持っていますか?
『孤宿の人』は宮部みゆきの時代小説です。
「夜明けの海にうさぎがとんでいる」 。
この物語の中で、わたしの一番のお気に入りの一文であり、ここから物語は始まります。
これは、主人公である“ほう”という女の子が、目の前の風景を見て発した言葉ですが、「海うさぎ」とは海に小さな波がたくさん立っている様子のこと。風が吹き、そして雨が降る前兆でもあります。
つまり、「夜明けの海にうさぎがとんでいる」とは、これから次々に起こる不審な事件の暗示でもあるのです。
物語の舞台は讃岐の丸海藩。ここで落雷・火災・殺人などの不審な事件が起こりますが、これらはすべて1人の厄介な人物、妻子を殺し、悪鬼、悪霊と呼ばれる元勘定奉行の加賀殿を流罪人として迎え入れることによって起きたものだと民衆は思い込むようになり、徐々に人々は正気を失わせていきます。
これらの事件が、主人公に絞られることなく、さまざまな立場、身分、年代の人々の視点で書かれていて、事件の本質は、この本を読み終えた読者にしかわかりません。この本には、そんなおもしろさがあります。
特に“阿呆のほう”とよばれる9歳の女の子の視点で書かれる一節が印象深く、わたしは惹きつけられました。
“ほう”は江戸で生まれるも、讃岐の国に置き去りにされ、この地で流罪人を預かる屋敷で奉公人として働くことになります。
会話もままならない、読み書きもできない、算段もできない“ほう”ですが、大人たちが悪鬼、悪霊と恐れる加賀殿と毎日顔を合わせるようになります。
そして日々接していくうちに怖いはずの加賀殿も自分と同じ生身の人間であるということに気づき、加賀殿の祟りなどではないことに気づきます。“阿呆のほう”だけが。
かわいそうな身分でありながら日に日に成長していく“ほう”を見守り、応援したい気分にさせられます。自分もほうに負けていられないぞ!という気持ちにも。
自分の仕事の意味、自分は何をするべきか、何を目標とするべきなのか、どんな大人になりたいのか。
“ほう”は自分でそれらを考えるようになります。
奉公を解かれた“ほう”に、加賀殿が名を授けるのですが、その場面に感動し、わたしは通勤中の電車の中であることを忘れて涙がとまりませんでした。
牢屋屋敷の奉公を終えた“ほう”は、医者の家へと移ります。
今日も一日がんばります!
と言ってまた“ほう”の1日が始まります。
物悲しさが感じられる作品名からもわかるように、決して明るい話ではありません。
起こる事件では、ばたばたと人が死んでいきます。
そんな真っ暗闇の中で、“ほう”がひとり、光を灯してくれているような作品です。
わたしは駿河湾で「海うさぎ」を見ると、この物語を思い出さずにはいられません。
「夜明けの海にうさぎがとんでいる」 。
この物語の中で、わたしの一番のお気に入りの一文であり、ここから物語は始まります。
これは、主人公である“ほう”という女の子が、目の前の風景を見て発した言葉ですが、「海うさぎ」とは海に小さな波がたくさん立っている様子のこと。風が吹き、そして雨が降る前兆でもあります。
つまり、「夜明けの海にうさぎがとんでいる」とは、これから次々に起こる不審な事件の暗示でもあるのです。
物語の舞台は讃岐の丸海藩。ここで落雷・火災・殺人などの不審な事件が起こりますが、これらはすべて1人の厄介な人物、妻子を殺し、悪鬼、悪霊と呼ばれる元勘定奉行の加賀殿を流罪人として迎え入れることによって起きたものだと民衆は思い込むようになり、徐々に人々は正気を失わせていきます。
これらの事件が、主人公に絞られることなく、さまざまな立場、身分、年代の人々の視点で書かれていて、事件の本質は、この本を読み終えた読者にしかわかりません。この本には、そんなおもしろさがあります。
特に“阿呆のほう”とよばれる9歳の女の子の視点で書かれる一節が印象深く、わたしは惹きつけられました。
“ほう”は江戸で生まれるも、讃岐の国に置き去りにされ、この地で流罪人を預かる屋敷で奉公人として働くことになります。
会話もままならない、読み書きもできない、算段もできない“ほう”ですが、大人たちが悪鬼、悪霊と恐れる加賀殿と毎日顔を合わせるようになります。
そして日々接していくうちに怖いはずの加賀殿も自分と同じ生身の人間であるということに気づき、加賀殿の祟りなどではないことに気づきます。“阿呆のほう”だけが。
かわいそうな身分でありながら日に日に成長していく“ほう”を見守り、応援したい気分にさせられます。自分もほうに負けていられないぞ!という気持ちにも。
自分の仕事の意味、自分は何をするべきか、何を目標とするべきなのか、どんな大人になりたいのか。
“ほう”は自分でそれらを考えるようになります。
奉公を解かれた“ほう”に、加賀殿が名を授けるのですが、その場面に感動し、わたしは通勤中の電車の中であることを忘れて涙がとまりませんでした。
牢屋屋敷の奉公を終えた“ほう”は、医者の家へと移ります。
今日も一日がんばります!
と言ってまた“ほう”の1日が始まります。
物悲しさが感じられる作品名からもわかるように、決して明るい話ではありません。
起こる事件では、ばたばたと人が死んでいきます。
そんな真っ暗闇の中で、“ほう”がひとり、光を灯してくれているような作品です。
わたしは駿河湾で「海うさぎ」を見ると、この物語を思い出さずにはいられません。