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想像を超えるアイデアソース

サプライズを創出し続ける人々の
想像を超えるアイデアソースをご紹介します。

2022年01月17日

経理チーム 梶原 崇宏さんのアイデアソース

第七十七回


想像を超える「努力」

コービー・ブライアント
2020年1月26日、ロサンゼルス近郊の山中に1機のヘリコプターが墜落、搭乗していた9名全員が亡くなるという痛ましい事故が起きた。この事故の報道は、全米のみならず世界中のバスケットボールファンを悲しみの底に突き落とした。

コービー・ブライアント

稀代の名選手としてNBAの歴史に名を刻んだ彼は、その搭乗者の1人だった。愛娘ジアナとその友人らと共に、コービー自身が主宰するバスケットボール・アカデミーに参加するためヘリコプターで移動中、不運にも事故に見舞われ41歳という若さで亡くなった。

高校卒業後1996年にNBAに入り、2016年に引退するまで名門ロサンゼルス・レイカーズでプレイ。優勝5回(3連覇1回達成)、ファイナルMVP 2回、オールスター18年連続選出という輝かしい実績を残した。その中でも2006年に記録した1試合81得点は、NBA史上2番目のハイスコアで、NBAの記録にも人々の記憶にも残るものだった。彼は現役最後の引退試合でも60得点を挙げ、多くの人に惜しまれながらコートを去った。

そんな彼が偉業を残すことができたのは、超人的な身体能力や類稀なるセンスがあったからではない。世界最高峰の選手が鎬を削るNBA、そのトッププレイヤー達をして「あの男ほどの努力家はいない」と言わしめるほどの、想像を超える『努力』があったからだ。彼のある種ワーカーホリック的な逸話は枚挙にいとまがない。

1999年のプレシーズンマッチでコービーは右手首を骨折した。彼は常に、誰よりも2時間早く練習入りする男だった。あるチームメイトは、いつもコービーが一番乗りで練習していたので、彼が怪我をした翌日は自分が一番乗りで練習に入れると思いコートに行ってみると、右手にギプスをしたコービーがドリブルの練習をしていて、既に汗をかいていた。

あるコーチが「コービーの練習を見学したい」と申し出ると、コービーは快く「明日の朝4時から練習を始める」と言った。そのコーチが3時に起きてコービーを出迎えようとしたが、コービーは既に練習を始めていた。コービーの言った「4時」は練習場に着く時間ではなく、本格的なトレーニングを始める時間だったのだ。

北京五輪で同じチームだったあるメンバーは、練習初日の朝8時に起床してあくびをしていると、練習着を汗びっしょりにしたコービーがトレーナーと話をしているのを見かけた。コービーは他のメンバーより3時間も早く起きて、既にフルワークアウトを済ませていた。

「8時間のトレーニング程度、一瞬の敗北に比べたらどうってことはない」

全盛期、既に史上最高のプレイヤーの1人となっていたにも関わらず、誰よりも多くの練習をこなし、誰よりも真剣にバスケットボールに向き合い、更なる高みを目指し続けた。正にレジェンドと呼ぶに相応しい、そんな人だった。引退後も多方面で活躍が期待されていただけに、彼の急逝は非常に残念でならない。

努力は、何かを達成したり、実現したりするためには欠かせない要素。コービーほどの努力ができる人間は中々いないが、少しでも彼の姿に近づけるように『努力』していきたいと思う。

R.I.P Kobe