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想像を超えるアイデアソース

サプライズを創出し続ける人々の
想像を超えるアイデアソースをご紹介します。

2015年08月07日

仙台営業所 川合 景子さんのアイデアソース

第三回


想像を超える「映画」

限界なき極みにしびれる
映画館で作品を鑑賞すると、エンドロールの間に席を後にする人がいる。鑑賞マナーもさることながら、余韻に浸る間もない頭や心の切替の早さに驚いてしまう。たった今まで同じ空間にいながら、作品に対する想いの共有をその場ではなかなか得ることができず、もどかしいときがある。いい作品に出会えたときのそれはさらに強い。映画の祭典でみられるような、スタンディングオーベーションが起きたりはしないだろうか、ふとそんなことを思う。

映画の祭典。本作もひっぱりだこで、多くの映画賞を受賞し、予告や絶賛コメントを見ては、あまりの評価の高さに、期待外れだったらどうしようと考えてしまうほどだった。

物語は、音楽家を目指し名門音大へ入学したニーマンが、指揮者・フレッチャー率いるバンドにスカウトされ、指導を受けるというもの。単純そうなストーリーの重要なポイントは、ニーマンがなりたいのは「偉大な」ドラマーであり、フレッチャーは完璧を求める「鬼教師」であるという点だろう。飛んでくる椅子、幾度もの平手打ち、止まらない罵声。フレッチャーのスパルタぶりは、スクリーンを越えて観る者をも緊張させる。しかしそれに負けないニーマン。ドラムを叩き続けた手から流れる血が痛々しすぎる。決して複雑ではないストーリーは、演奏されるジャズと相俟って、考えるのではなく感じろとこちらに働きかけ、「体感的鑑賞」となった。

宣伝のフライヤーには「才能 VS 狂気」と書かれていた。師弟関係にありながら、この二つによって対等な関係が二人の間に築かれる。どこにでも存在する師弟関係は、どこにも存在しない形でもって描かれ、後半部分の盛り上がりは全く想像できない展開だった。「体感的鑑賞」により、想像する時間すら作り出すことができなかったとも言える。

想像するというのは、ある情報や事象を前に、自分の頭の中で成り行きを考えたり、具現化したり、消化することだと思う。しかしその力が日頃よりありきたりで、鍛えられていないものだと感じた。これまで師弟関係が対等だと思ったことはないし、ニーマンのように狂うほど何かに打ち込んだことはあっただろうか。可能性や、想像の域を限定してはいなかっただろうか。だからこんなに熱い作品に出会うと、抱えきれない圧倒的な力にしびれるのだ。自分の想像は、なんて乏しいものだったのだろう。フレッチャーはもちろん、特にニーマンは、私の感じる限界のはるか上に位置し、クライマックスは間違いなく想像を超えた瞬間だった。

エンドロールが流れる。相変わらずすぐ退席する人がいる。他人同士の共有は本編上映中だけに留まり、スタンディングオーベーションなんてあるわけがない。しかし後方から「すごい映画だ」と聞こえたとき、その共有が嬉しかった。拍手がしたくてたまらない一方、緊張、余韻、興奮が解けずにいる。座席から立ち上がれないかと思った。

セッション

監督・脚本
デイミアン・チャゼル
主演
マイルズ・テラー
上映
TOHOシネマズ 新宿 他
Blue-ray
4,800円+税
関連サイト
http://session.gaga.ne.jp/