vol.2 藤本怜央
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- SPECIAL GUEST 車いすバスケットボール選手 藤本怜央(ふじもとれお)
- 2014年4月1日SUS株式会社入社
小学3年生の春、交通事故で右足の膝下を失う。
日本代表チームキャプテン
「宮城MAX」所属
日本選手権6回連続優勝
MVP2回・得点王9年連続10回
パラリンピック:アテネ・北京・ロンドン
世界選手権:2006年オランダ・2010年イギリス
アジア選手権:2006年マレーシア・2010年中国
U-21世界選手権:2005年イギリスなど
- (※2014.6.6現在)
- STAGE1 交通事故で障がいを
- STAGE2 車いすバスケという挑み
- STAGE3 パラリンピック2020に向けて
- HOST SUS株式会社 代表取締役社長 石田保夫
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交通事故で障がいを
- 藤本
- 今日は、社長にプレゼントをお持ちしました。私が所属している「宮城マックス」というチームのシューティングシャツなんですが、ぜひこれを着て応援に来て欲しいという思いを込めて。
- 石田
- ありがとうございます。NO.5が藤本さんの背番号なんですね?
- 藤本
- はい、広げてみてください、僕のサイズなので、大きいと思うんですけれど。
- 石田
- 僕も大きさでは負けてはいない、いや、負けてるな、本当に大きいですね。
- 藤本
- はい、5Lなんです。シャツの上から着れると思います。
- 石田
- 凄いな。立派な体ですが、かなり若いときに交通事故にあわれたんですね。
- 藤本
- そうです。小学校3年生です。当時からやんちゃで、砂利道を自転車で走っていたんですが、そこにダンプカーが来て、たまたま体勢を崩して転んだところを巻き込まれました。
- 石田
- ダンプカー、うーん。小学生で、そんな大きな事故に遭ったというのは、本当に大変なことでしたね。
- 藤本
- 僕自身は小さかったのと、お医者さんや、父から義足のことを聞いて、それをはめて元の生活に戻るっていう目標をたてたので、割と前向きだったんです。
- 石田
- 素晴らしい!藤本さんは随分明るい印象ですが、この事故は藤本さんにとっての挫折経験にはならなかったのですか?
- 藤本
- いえ、子供なりに壁はたくさんありました。でもまわりの人から助けられたので救われました。1年の入院後、学校にもどったんですが、友人たちが僕が義足になったっていうことを当たり前のように理解してくれて、凄く上手に付き合ってくれたんです。
- 石田
- 友達が?
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- 藤本
- はい、みんな、僕が頑張ってることを評価してくれて、「もしかして、僕、健常者なのかな」って勘違いするような接し方をしてくれたんです。
- 石田
- それは、先生の指導もあったんでしょうか?
- 藤本
- そうですね。担任の先生が、毎日のように僕の病室に来てくれて、僕に学校の様子を伝えてくれたり、逆に教室に戻って「藤本は、今こんな風に頑張ってる」って僕のことを伝えてくれていたので、僕が1年間で障がいを克服しようとするのと同じように、友人たちも子供なりに1年の間に障がい者になった僕を理解して、障がい者との付き合い方を熟知してくれてました。だから、僕は、環境の変化があってもあんまり違和感なく戻っていけたんだと思います。
- 石田
- なるほど。いい先生に出会えてよかったですね。
- 藤本
- はい、本当に感謝しています。
- 石田
- 藤本さんは偶然にも、静岡県の出身なんですね。ご両親はショックだったのでないですか?
- 藤本
- はい。3人兄妹で、たったひとりの男でしたし、本当は落胆していたと思います。後で聞いた話ですが、僕の知らないところでは、随分泣いていたみたいです。ただ、僕にはそういう様子は一切見せませんでしたし、僕のために本当にいろいろサポートしてくれました。
- 石田
- ご両親の気持ち、お察しますよ。藤本さんも大変だったでしょうね。
- 藤本
- はい。突然、大きなハンディキャップを背負ったので、子供なりに悩むことはたくさんありました。例えば、みんなと一緒に運動会で走れないとか、サッカーが出来ないとか。でも、その都度、両親が一緒に考えてくれて、「足が使えないなら、手を使えばいいじゃないか」っていう姿勢で常に支えてくれていましたね。バスケットへの道を開いてくれたのも両親なんです。
今の僕の性格の根本が形成されたのは、両親からの深い愛情が感じられたおかげだと感謝しています。
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車いすバスケという挑み
- 藤本
- さっきは、足が無くなったことをそんなに落ち込んだりしなかった。って言いましたけど、でも、本当に大変な苦労をしたのは義足をはいてからだったんです。義足ではできないことが、どんどん、どんどん、増えていって、その壁を越せないとか、そういうときに挫折を感じましたし。僕はずっと義足を履いて、健常者の中でバスケットやってたんですが、当然その中では強いハンディキャップを感じて、『もうバスケ辞めようかな』って思った時期もありました。
- 石田
- でもやめなかった。
- 藤本
- はい。やめませんでした。そして、そのハンディを乗り越えたときに、人としても、あとはプレーヤーとしても成長できたという手ごたえがありました。 僕はスポーツの世界で、負けから学ぶことがたくさんあるって教わってきたんです。負けが重なると、人ってどうしても物事を悲観的に考えがちになる。でも、僕は「じゃ、こいつらに勝つにはどうするか」っていうふうに考えて、負けてもわくわくするんですよ。それが飛躍のエネルギーになっている。だから負けは無駄ではなかったですし、自分の中では、挫折が今の藤本怜央を作り上げた材料のひとつだと思ってます。
- 石田
- でも、勝敗を競う世界だから、負け続けてはいけないでしょう?
- 藤本
- そうなんですよ。結果を求められているので、負けたら「すいません」っていうのがまず最初ですしね。
- 石田
- じゃ、2勝1敗がいいっていうことですか。
- 藤本
- そうですね。一つの負けと2倍の勝ち。同じミスは2度繰り返したくないと思っていますから、一回の挫折または失敗で、得たものは常に大事にしようと思ってます。だから、2連敗はしたくないですよね。
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- 石田
- 「負けて勝つ」という訳ですね。
- 藤本
- そうかもしれません。少しずつ自分のことが好きになっていくっていうのが、僕の成長の理想形です。
- 石田
- 頑張って楽しいと感じるのは、頑張ることで結果が出ること?
- 藤本
- そうですね、楽しさは、ほぼすべて結果ですね。
- 石田
- では、やっぱり負けるのは悔しい?
- 藤本
- もちろんそうです。でも、やれずに負けることと、やったけど負けるっていうことを、かなり自分の中で区別しているんです。当然自分の力を出し切った方が楽しい。楽しければパフォーマンスが上がるから、
- 石田
- 結果も出る。
- 藤本
- そうなんです。だから常にその楽しさを求めて、目標設定をしているんです。
- 石田
- 目標設定。今の目標は?
- 藤本
- 日本選手権の6連覇です。その大きな目標を達成していくための小さなプロセスを設定してくのが楽しい。
- 石田
- それ、自分一人でやるんですか。
- 藤本
- まずは、一人で考えて、みんなに相談して、足りないものを足してもらう。
- 石田
- まさにキャプテンですね。ここまで来るには、車いすバスケットに転向してからも、いろんな努力をされたんでしょう。
- 藤本
- 僕、車いすバスケットを始めて1年で日本代表入りしたんです。だから、海外での実戦にぽんと出て、常に海外は僕の一つ上のレベルを行ってたので、そこで揉まれながら成長した感じなんですが、多分国内で、同じ時期に始めて、国内だけでプレーをしていた人に比べると圧倒的に早いスピードで成長したと思います。
- 石田
- 国内だけでやってたら成長出来なかった?
- 藤本
- そうですね、海外に行って、自分よりもはるかに上の人たちを見て、それに追いつくための努力をして、また海外へ行くと、彼らは更に上を行っていて、また頑張ってというのをずっと繰り返していた感じです。日本の中だけで同じレベルで満足をしていたら、あんな努力は出来なかったかもしれません。
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パラリンピック2020に向けて
- 石田
- 藤本さんにとって、事故で足を失ったということは大変大きなことだったと思うんですが、そういう苦難があったからこそ、今の自分がある。
成長の原点に、コンプレックスやハンディキャップは必要だったと感じることってありませんか?
- 藤本
- もちろんあります。僕いつも「いつがターニングポイントか」って聞かれたら、絶対に「事故をした日です」って答えているんです。
でも、障がい者になったからこそ、日本代表という地位にのぼりつめて、日の丸を背負って戦うっていう使命を与えてもらい、世界各国に友人ができました。一瞬の不幸からたくさんの幸せを掴んだなと感じています。
- 石田
- 素晴らしいですね。でもそれは運ではなく、藤本さん自身が持っているものがあるんじゃないですか。良いものを呼び込む力というか。
- 藤本
- 人との出会いには感謝しています。
- 石田
- それは、藤本さんの明るいマインドから得ているものが大きいと思いますよ。藤本さんは常に前向きに世界を意識していますよね。SUSも世界一を目指しているんです。でも、最初からそうだったわけではありません。今でこそ、こんな所にいますけど、昔はドブ板を這うような生活をしていたわけですよ。そこから這い上がってきて、藤本さんのような方と一緒に仕事ができるようになった。
- 藤本
- ありがとうございます。僕も仕事とバスケットボールとの両立にずっと苦しんできましたが、今回自分の出身地である静岡県のSUSで働けるようになったと聞いたときは、奇跡だと思いました。
今年、僕は日本代表入りして10年目になるんですが、キャプテンとしては初めての年なんです。まず今年は、日本人のチームワークやメンタルの強さをまず世界に示したい。そして、日本が脅威であるということを世界に示す。さらに、世界ナンバーワンとして金メダルを獲る。それを目標としています。
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- 石田
- 新しい挑戦がはじまったんですね。
- 藤本
- 日本代表には、特長のあるパフォーマンスの高い人間が集まってきます。個々の力をいかにチームとして発揮させるかというのは、キャプテンである僕のリーダーシップと、あとサポート能力にかなりかかってくると思ってます。誰一人脱落させることなく、戦い続けていくキャプテンシーをチームに示して、単なる国内のトップレベルの選手の集まりではなく、最強チームとして戦える軍団になるように作っていければなと思いますね。
- 石田
- 挑む集団ですね。
- 藤本
- そうです。挑むことを楽しむ集団づくりです。また、恵まれたことに、全員同じ方向に向かっていますし、刺激の仕方もうまいです。何より、自分ができないことと、相手が出来ることを認めあっているんです。
- 石田
- 出来ないことを認め合える。レベルの高い人間関係ですね。
- 藤本
- はい、ちゃんと表現できる人が多いので。認め合って、褒め合っています。
- 石田
- 褒められる。
- 藤本
- はい、褒め合います。
僕は、これからは障がいを持ってる人の方が強い時代が来ると思います。障がいを持ってる人は、必ず一度、精神的に何かを乗り越えてきているんです。だから、苦悩や、挫折を知った障がい者に勝つためには、むしろ健常者の方の方が、より努力をする必要があるのではないかと思うんです。そのくらい、障がい者が持つエネルギーって凄まじいんですよ。だから、それを、健常者に知って欲しい。
障がいを持っても頑張ってるアスリートや、社会人をまずは見て欲しい。そう思ってます。
- 石田
- そうですね、私も応援しています。お互い2020年が目標の年ですね。
- 藤本
- はい。
- 石田
- 一層の高みを目指して、ぜひ一緒に頑張りましょう。
- ※藤本さんは2014年5月12・13日に行なわれました日本選手権において、みごと優勝を果たしました。