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かたわらに茶がある日本の未来

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「コミュニケーションの真ん中」

歴史・文化

2024年5月31日

変わるお茶の立ち位置

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 「お~いお茶」。日本人なら誰もが知る、有名緑茶飲料ブランド。今春から、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手がグローバルアンバサダーに就任し、さらに注目を集めています。5月20日から「#お~いLAの大谷さん」キャンペーンがはじまり、ますます人気に拍車がかかりそう。発売から今年で35周年を迎えるということなのですが、ちょっと気になるのが「お~い」のその先。キャンペーンでは大谷さんに「お~い」と呼び掛けていますが、その前はいったい何を呼んでいたのでしょう。メーカーの伊藤園のWEBサイトでは、このネーミングについて、「お~いお茶」は店頭で、お客さまに呼び掛けているような親しみを込めたと公開しています。また、1970年代に、故・島田正吾さんが “お~いお茶” と呼び掛けるCMをテレビで放映していて、当時、視聴者からの好評を得ていたため「お~いお茶」に名前を変えたとも併記されています。インターネットを検索してみると、確かに和服を着た白髪の紳士が、床の間を背に何やら書物をめくり「お~い」と呼び掛けると、「お茶」と湯のみを手にした女性が顔をのぞかせる動画が今も残っていました。
 見ているこちらも思わずほっこりする素敵なシーンですが、ちょっぴり気になるのは、この女性の立場。奥様にはちょっと若いし、お嬢さんだとしたら、父親に向けるにはビッグスマイルすぎるのでは?
 いくつかの疑問は残りますが、昭和のど真ん中には、一声「お~い」と呼べば、お茶が出てきたようです。令和の今、店頭でペットボトルが擬人化して、自らお客さまに「お~い、お茶いかがですか?」と呼び掛けるようになったことを考えると、35年の間に、お茶もずいぶん変わったものですね。

コミュニケーションも変わる

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 時代とともに変化を続けるのは、お茶だけでなくコミュニケーションも。
 最近、人に伝える手段やそのマナーが多様化しています。例えば、離れた場所から何かをリアルタイムで伝えたいとき、昭和の時代には、電話をかけるしかありませんでした。家人や通話料金を気にしながら、ほの暗い廊下から電話をかけた記憶は、それほど古いものではありません。それが、平成になり携帯電話が普及し、あっという間に電話はパーソナルなものに。その少し前でしょうか、通話の他に、メールがコミュニケーションの手段として普及しはじめたのは。当初メールは、パソコン同士でのやりとりがメインで、ビジネスシーンでの利用が主でした。メールを使うようになって、相手とのやりとりが記録されるようになり、言った、言わないという齟齬が激減。そのため、ビジネスでは記録に残るメールの方が丁寧という、新しいマナーが浸透しはじめたのです。今では、それが当たり前になりましたが、電話を使っていた世代の人間からすると、相手がいつそれを読んだのか、ちゃんと理解されたのか、少々不安が残るのも事実。そこで、メールを送ったあと、「今メールを送ったのでご確認ください、わからないことがあったらお返事ください」なんてお電話することも。まるで歌に出てくる、手紙を食べちゃうヤギのやりとりみたい。なんだか本末転倒な気もします。
 そして、生まれたときにはすでに携帯電話やメールが存在していた、いわゆるデジタルネイティブ世代からしてみると、基本はメール。電話をかける方が、かしこまってちょっとハードルが高いという意識もあるのだとか。さらに、コロナ禍にはオンラインでのテレビ会議という新しい手段が浸透しはじめ、収束した今も、コミュニケーション手段の選択肢としてレギュラー入り。便利になったものだと、技術の進化に感謝しつつも、正直、どれが丁寧で正解なのか、よくわからなくなってきました。手段はともあれ、誰かとつながり、理解を得ることが、コミュニケーションの最大の目標。
 ツールは上手に活用するにしても、メールやテレビ会議では生まれにくいのが、他愛のない世間話。思い返せばコロナ禍前、その世間話からアイデアが生まれたことも少なくなかったはず。そういえば世間話って、本題がひと段落し「お茶でもどうぞ召し上がってください」のあとにはじまるものでしたよね。久しぶりにあの人に会いに行きませんか?

おもてなし

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 ところで、日本人はいつから水を買うようになったのでしょう?
 日本の水道水が安全でおいしいことは世界中で知られています。ほんの少し前まで、「のどが渇いた!お水飲みた~い」と、水道の蛇口をひねっていた記憶が鮮明に残っています。けれど、水は今やペットボトルのキャップをひねって飲むものに。いったいこの慣習っていつはじまったのでしょうか?炭酸を含まない、いわゆる「水」が、ミネラルウォーターとして、日本で最初に売り出されたのは、今から90年以上前に、現在の山梨県南巨摩郡身延町の土地で湧出した水が最初だといわれています。
 その後、1960年代に入って、大手酒類メーカーが業務用として販売をスタート。最初は飲食店での利用が目的でした。水にサービスと付加価値を付けたわけですね。
 その後、市場に出はじめたのが1980年代のこと。国内の食品メーカーが一般家庭向けに商品を販売しはじめたのと同時に、海外からの輸入品も。その後、バブル期を経て、ペットボトルに入ったミネラルウォーターは一気にブレイク。その背景には、バブル期に海外旅行などを経験して、水を買うことへの意識が変わったことや、気候変動などによって、飲み物を持ち歩くという習慣が身についたこと、そしてなんといっても、コンビニエンスストアの出現で、消費行動が大きく変わったことがあるのでしょう。飲料水はインフラから、欲しいときに欲しいだけ手に入れるスポット商品へ。その後、災害用備蓄などで、今また、水に対する意識は変容しています。何より、いつの間にか、来客にペットボトルの水を出すのがごく一般的になり、コロナ禍を経てすっかり定着しました。確かに、相手の嗜好を選ばない水は、逆に、相手に寄り添ったともいえるおもてなし。でも、なんだか簡易すぎる気がするのです。時に、「炭酸入り、常温、冷たい」など希望を訊ねてくれることはありますが、でも日本の「OMOTENASHI」ってそういうことでしたっけ?
 500mlのお水、1時間の打ち合わせでは飲みきれなくて、必ず残りはバッグの中に。気が付いたら、夕方、バッグの中に何本もの飲みかけのペットボトルがゴロゴロ入っていることも。湯のみで出していただいたお茶だったら、その場でいただいておしまい、もちろんテイクアウトはなし。やっぱり、おもてなしって適量がいい気がするんですよね。ちなみに、出していただいたお茶は飲みきるのがマナー。お出しする側にも配慮が必要ってことですね。

文:原田亜紀子 絵:土屋弘子