あなたの「想像を超える」エピソード 受賞作品公開

タンブンのリレー
 バンコクで出会った10人近い日本人の方々に、同じ質問をしてみました。
「タイの一番の魅力は何ですか?」
 滞在歴50年の“バンコクのことなら何でも知っている”日本人社会の長老から、滞在歴2年の“やっと日常会話ができるようになった”脱OLに至るまで、返ってくる答えはみな同じでした。
「タンブンです!」
 タンブンのタンは「行う」で、ブンは「功徳」。つまり功徳を積む、あるいは福徳をなすということになります。とはいっても大仰な仏教用語ではなく、極めて日常的なものです。
 端的な例が朝食。タイで暮らすとしょっちゅう「朝ご飯食べた?」と聞かれるそうです。それでもし食べていないとわかると、自分のお昼に用意してあった食事を半分譲ってくれますし、それがない場合には近くのコンビニや屋台に走って行って何かを買って来てくれます。もちろん代金は受取りません。
 こういったことを何の恩着せがましさもなくされると、異国の地で暮らす日本人にはどうやら“ぐっと来る”ようです。故国日本でも失われてしまった“地域のコミュニケーション”とか、人間が本来持っているはずの“人を思いやる心”とかがこの国には残っていると感じられたら、とても心地よく感じられるものなのでしょう。おまけに、親日家が多く、物価は安く、料理はおいしいとなれば。
 そんなタンブンを巡る話を聞き、改めてバンコクの街や人を見ると、私の中で“生きる”ということの意味あいが大きく変わって来るのでした。
 少しばかり、個人的な話をお聞き下さい。これもまた“想像を超えるエピソード”なのですが……。
 昨年のゴールデン・ウィーク、老犬のラブラドール・レトリーバーが危篤状態となりました。帰省の予定はなかったのですが、大分の大学で学んでいる娘が急遽帰省して来ました。医学生である娘は、家に着くなり聴診器を取り出して愛犬の鼓動を聞き始めます。ため息をついて聴診器をしまおうとしたので、
「たまには親父の心臓の音でも聴いてみたらどうだ。実験台になってやるぞ!」
 と声をかけてみました。しぶしぶ父親の心臓の音を聞いていた娘が、真顔になって「念のため大きな病院で心臓見てもらった方がいい」と言います。まぁあくまで念のためと、大学病院の循環器内科で検査をしてみると「狭心症の疑いがある」と言われ、入院してのカテーテル検査となりました。結果は、心臓につながる3本の太い動脈のうち1本は完全に塞がっていて、残りの2本も90%塞がっているという状態でした。狭心症どころか心筋梗塞です。すぐに緊急入院してステントを4本入れ、命拾いをしました。主治医によると、「このまま放っておいたら、70%は死んでいた!」そうです。
 家内(今回受賞させていただいたエッセイのモデルです!)は「ラブのおかげよ」と断言します。ラブとは犬の名前で、“愛が命を救った”と言っているのではありません、念のため。娘が戻って来た翌日にラブは15年半の生涯を閉じました。確かに、身代わりになってくれたのかもしれません。
 娘の方は自慢げに「私が命の恩人!」と言います。犬の危篤がゴールデン・ウィークでなければ病院研修で帰省することはできず、また6年生でなければ心音をちゃんと聞くことができなかったようで、娘には(しばらくは)頭があがりません。
 という訳で、私は愛犬と娘に命を救われたのでした。
 退院後すぐにこのエッセイの募集を知り、自分を元気づけるためにも“とにかく明るい話”にしようと考えて書いたのがこの作品でした。

 話はまだ続きます。
 この話を書いて投函した翌日、20年以上音信不通であった友人から電話がありました。
「ちょっと佐々木さんの健康状態が気になって、伝手をたどって電話番号調べて連絡しました。何か体調が悪いとこありませんか?」
 この友人は医師です。心筋梗塞で入院した話をすると、
「そりゃ、かつての佐々木さんの仕事ぶりを知っている人間からすると、100%死んでましたね」
 さらに話を聞いてみると、その友人は一年の半分、タイで医療活動をしているとのことでした。
「体調が回復したら、ぜひ遊びに来て下さい」
 と言われ、半分社交辞令で「きっと行きます」と答えていたのでした。ところが、今回の副賞でタイご招待となった訳です。
 想像もできないことは、やはり起こるのです。

 タイ旅行4日目の夜、その友人と現地在住の友人を交え、バンコクで最も高いビルである“バイヨーク・スカイツリー・ホテル”の展望レストランで食事をしました。72階で食事をしたあと、84階の展望台へ。この展望台は屋外になっています。心地よい風に吹かれながら、遥か彼方まで続くバンコクの街の素晴らしいイルミネーションを眺めました。
 雲ひとつない空には、満月が浮かんでいます。
 その日は、私の××回目の誕生日でした。
 突然、受賞作品の登場人物である、ミネアポリスで出会ったカワムラ氏の言葉を思い出しました。
「日本には好い言葉がありまんな。シュッセバラーイ! ただしわてに返さなくてもいいのんや。いつの日か、困っている人に出会ったら助けてやってくんなまし。それがシュッセバラーイや」
 そうです、カワムラ氏は見返りを期待しない“タンブン”を私に与えてくれたのでした。シュッセバラーイどころか、大勢の人々(プラス犬!)から一方的にタンブンを受けてばかりの人生だったことに気がつきました。一度拾った人生ですから、これから“シュッセ”は難しいかもしれないけど、バンコクの街に暮らす普通の人々のように少しずつタンブンで誰かに“お返し”をしなければならない。タンブンというのは永遠に続くリレーで、誰もが“リレー・ランナー”の役割を負っている……そんなことを考えさせてくれる、かけがえのない一夜でした。
 今回、このような素晴らしい“旅”をさせて下さった関係者の皆様に感謝いたします。
 タンブンにはなりませんが、皆様に私の大好きな言葉をお贈りいたします。坂口安吾という昭和初期に活躍した作家の言葉です。
「青春とは、現実の中に奇蹟を追うこと」
 奇蹟には必ず出会えるのだと思います。ただし、条件が2つあります。ひとつは、諦めずに追い続けること。もうひとつは、奇蹟を感知するアンテナを携えていること。

 ありがとうございました。