あなたの「想像を超える」エピソード 受賞作品公開

優秀賞
宮城県 鈴木美紀
「おいしさは想像を超えた!震災の中の「卵かけご飯」」

 地震から一週間が経ち、電気が復旧した。これまで残り物のパンやお菓子を食べて凌いできたが、私はもう限界。スーパーは開店できるところが半分。開店したとしても数時間並んで一人五点まで、十点までという制限付き。値段が高い上、普段なら絶対見向きもしない加工品。それでも、すぐに売り切れる。
 私と姉は、水と食料調達に励んだ。朝から晩まで給水所の往復とスーパーのはしご。空のペットボトル数本を二つのエコバッグに入れ、お金を持って自転車を走らせた。父は仕事の関係上しばらく帰宅できず。母は障害のある兄と妹を連れて出歩くことが難しいからだ。ガソリンも全く手に入らないので、車での外出も控えなければならない。
 そのような最中、祖母が大きなリュックを背負い、三十分歩いて我が家にやってきた。新聞紙に幾重に包まれた、赤くて立派な卵を持って。
「えーっ、これ、どうしたの?」
 私は驚いた。それもそのはず、卵を始め生鮮食品はまだ市場に出回っていないからだ。
 祖母によると、この震災の影響で開店できない店の敷地に出店があり、そこで卵を買ったという。
「おじさん、その卵、私にも売って。孫に食べさせたいから、大きいのちょうだいね」
 段ボールと木箱で作った質素な店。養鶏を営むおじさんは、卵を積んだ軽トラを東に東に走らせたそう。誰かの役に立ちたく、居ても立ってもいられなかったらしい。
「おばあちゃん、ありがとう!」
「おじさん、ありがとう!」
 母は久しぶりに通った電気でさっそくご飯を炊いた。炊飯器には、私と姉が一日に何度も、自転車で十分かかる給水所からもらってくる貴重な水が入っている。残念ながら水道とガスはまだまだ復旧しそうにないが、電気は使える。私たちにとって、卵はそんな矢先に贈られた、まさに恵みの食材だった。
 私たちは、シンプルに卵かけご飯をいただくことにした。炊き立てのアツアツのご飯と新鮮な卵をテーブルに置くと、私たち兄弟は手をパチパチ叩いて喜んだ。
「いただきます!」
(コンコン、パカッ)
「うわぁ、まん丸!」
「きれいな黄色!」
 思わず上げる歓喜の声。四人揃っての笑顔だ。
「めっちゃおいしい。何、このウマさ」(姉)
「うん、おいしい(手話で表現)」(兄)
「こんなにおいしいご飯、今まで食べたことないかも」(私)
「おいちー、もっとくだしゃい」(妹)
 灯油も買えず暖房も使えない私たちは毛布に包まりながらの食事だったが、卵かけご飯のおかげで体はぽかぽかだった。
 母は私たちにお代わりを促しながら、湯気に紛れて気づかれぬようそっと涙を拭っていた。これでやっとお腹と心を満たす食事を食べさせられるという、親としての役目が果たせることへの安堵だろうか。それにしても、本当に素晴らしい味で想像以上。私は興奮が冷めず、じっくり味わいながら「おいしい」を連発。こんなに感激したご飯は、生まれて初めてかもしれない。
 そう、食べることは生きること。何食わぬ顔で生きているが、実に多くの人に支えてもらっているから私は生きることができるのだ。便利で贅沢な暮らしが当たり前になり、感覚が麻痺してしまったのだろうか。食べられることに感謝する気持ちを忘れていたなんて。
「作る人がいて、つなぐ人がいて、そして売ってくれる人がいるから、安全で安心な食生活が成り立っているのよね」
 母がそっと語りかけた。
「そっか。みんなに『ありがとう』なんだね」
「そうね、私たちは誰しも一人では生きられないものね。みんなでありがとうの気持ちを込めて『ごちそうさま』しようか」
「ごちそうさまでした!!」
 東日本大震災の衝撃もさることながら、余震の恐怖に怯える日々。まだ十二年しか生きていない私にとって、この上なく不安で我慢することも耐えることも多い時間だった。しかし、だ。食べられることへの大きくて深い感動は、これからの私の長い人生の過程で何らかの糧になることだろう。そして、この日の夕食の格別な味は、心の中でずっと生き続けていくことだろう。
「おいしいって元気になるね」
「温かいって幸せだね」
「さぁ、明日も頑張ろう!」
「震災なんかに負けないぞ!」